
| 大平正芳生誕100周年記念シンポジウムが北京で |
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日付:2009-10-27
出所:人民ネット
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30年前、日本の故大平正芳元首相が中国を訪問し、両国は中日平和友好条約に調印し、両国関係の長期的かつ安定的な発展のために、確固とした基礎を打ち立てました。来年(2010年)は大平正芳生誕100周年にあたり、大平正芳氏の中日関係の発展に対する貢献を記念し、彼の政治理念とヒューマニズム思想を追想し、中日関係の未来を展望するために、北京日本学研究センターと日本の大平正芳記念財団が共催した「大平正芳生誕100周年記念国際学術シンポジウム及び優秀論文表彰式」が10月24日、北京日本学研究センターで開催されました。 大平正芳氏(1910-1980)は戦後の有名な政治家であり、第68、69代内閣総理大臣です。彼は香川県の農民家庭の出身であり、誠実で実直、どこまでも耐え抜く、読書が好きで博学な人物でした。中日関係の発展史において、大平正芳氏は大きな貢献をしました。1972年、大平氏は日本の外務大臣として田中元首相と一緒に中国を訪問し、中日両国は共に「共同声明」を発表、国交回復を宣言し、中日国交正常化を実現しました。1974 年、大平氏は自民党内の重なる障害を克服し、再び中国を訪ね、中国と「中日貿易協定」を締結し、これに引き続いて、同年4月に「中日航空協定」を締結しました。1978年、大平氏は自民党総裁に選ばれ、日本の首相に就任し、同年、中日両国は「中日平和友好条約」を締結し、両国関係の長期的で健全かつ安定した発展のために、確固とした基礎を打ち立てました。1979年、大平元首相は訪中した際に、中国に対するODA(政府開発援助)の提供、技術及び人材育成協力の提供を決定しました。その時はちょうど中国が改革開放を行い、強経済建設に力を注ぐ時期に当たり、これらの援助は中国の現代化建設において軽視できない重要な役割を果たし、中国の経済成長に大きな貢献をしました。 シンポジウムの開幕式で、真鍋武紀香川県知事は、「大平正芳先生は、外務大臣、通商産業大臣、大蔵大臣などを歴任の後、1978年から1980年にかけて内閣総理大臣を務められました。この間、国際社会における我が国の発展向上に努めるとともに、日中の国交正常化を中心として、アジア太平洋諸国における国家間の確固たる信頼関係を築くべく、環太平洋連帯構想の実現にご尽瘁されるなど、そのご功績は、誠に言葉に尽くしきれないものがある」と挨拶しました。 正芳氏の孫である大平知範氏は、「祖父大平正芳は1980年になくなったが、祖父の政治家として最後の10年間は、日中の国交正常化と両国の友好関係の促進に注がれた。そして常々『お互い隣国同士、未来に向け付き合ってゆくには、かなりの努力と忍耐が双方に求められる』と言っていたが、30年近く経った今、両国の関係は多少の摩擦は別にして『合格点』で推移しており、祖父の望みに沿ったものではないかと思う」と挨拶しました。 シンポジウムでは、中華日本学会の劉徳有名誉会長(「劉徳有会長 大平正芳氏と中日関係を語る」)と早稲田大学の毛里和子教授による記念講演が行われました。また、「大平正芳記念論文賞」入賞論文の発表、選評と表彰式、大平正芳著作集『永遠の今に生きる』中国語版発刊式や「第五回日本学優秀論文賞」の表彰式も行われました。 「大平正芳記念論文賞」特別賞を受賞した日本北海道大学の田凱特別研究員及び優秀賞を受賞した清華大学国際問題研究所の劉江永教授、中国社会科学院世界歴史所の張躍斌副研究員、上海外国語大学大学院生の周明麗さんらがそれぞれシンポジウムで論文を発表しました。『永遠の今に生きる』中国語版発刊式では、北京日本学研究センターの郭連友教授がこの著作集の翻訳の過程と主要な内容を紹介しました。 北京日本学研究センター主任の徐一平教授によると、北京日本学研究センターは、30年前に大平元首相が訪中した際、中日政府が調印した文化交流協定の協力プロジェクトの一つである「北京日本語研修センター」(通称「大平学校」)を前身として、中国教育部と国際交流基金の協議により1985年に開設された教育研究機関であり、これまでに日本語教育や日本学研究の専門家を数多く養成してきました。また大平正芳記念財団の協力を得て、『大平文庫』の設立、日本学優秀論文賞の表彰や日本の名著翻訳出版など、中国の日本研究人材の養成に寄与する助成事業を実施してきました。 |
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